魑魅魍魎の跋扈する、見慣れている筈の街並み‥‥いきなり現れたその招かれざる訪問者に、人々は逃げ惑うことしか出来ないでいた。我先にと、当てもなくただ我武者羅にその場から離れる烏合の衆‥‥その流れに逆らう、二つの影。

「‥‥きりがないわね‥‥」

 予想していた現状とはいえ、瑞智 紗貴はあまりの多さに思わず溜息を付いた。

―キシャアァアァァア‥‥

 文字通り、奇声を上げながら右隣から飛び掛って来たその異形のもの―醜を、鉤爪にも似たそれで何の躊躇もなく‥‥振り返ることすらせずに、切り裂く。

 そして、間髪置かずに少年を振り返った。

「凶つを絶ちし鉄槌の烙印を芳命せん!」

緋岐が唱えると同時に、群がる醜や今まさに人を襲おうと牙をむいたものに印が浮かぶ。  それを確認するや否や印を切った。

破裁(はさい)っ!」

醜に刻まれたいた印が呼応しているかの様に、一層眩しい光を放ったと思ったら、粒状となってその場霧散した。

「流石ね」

紗貴は緋岐に対する杞憂を拭い去ると、真っ直ぐ正面を向いた。脳裏を掠める、先刻の緋岐話‥‥

 

『もう察しは付いていると思うけど、俺と翠琉は異母兄弟なんだ‥‥』

―そして、翠琉は俺の父を奪い、母を奪い、生活を奪った。

『そう思い続けてずっと憎んでいたよ、あの頃は‥‥』

―神羅一族が、俺の世界の全てだった。だから、躊躇いがなかった。

『言い訳にしかならないよな。そんなの‥‥』

―自分の行い、一族の曲がった正義に気付こうともせずに、蔑み、忌み嫌い、罵詈雑言の限りを尽くした。

『自分が、母親を殺した罪すら、翠琉のせいだと責任転嫁することで自分を慰め、庇護した‥‥最低だろ?』

―自分の過ち、一族の歪みに気付いたのは皮肉にも神羅から絶縁を言い渡され、“外の世界”を知った時で‥‥

『でも、俺は逃げた‥‥必死に忘れようとした。』

―だけど、忘れようとすればするほど、縋り付く小さな手が脳裏をよぎる。「助けて」と、か細い声で俺を呼ぶ声が、耳から離れなくて‥‥

『半年前、突然神羅一族の使いが来た時は、本当に驚いた。やっと忘れられたと思っていた“罪”を改めて突きつけられた気がしたよ』

使いだというものは言う。「あなた様の疑いが晴れました。どうぞ神羅にお戻り下さい。」断る事も出来ず、思いもしなかった帰省を緋岐は果たした。そして、何も判らないまま連れて行かれた地下牢に繋ぎ止められていたのは‥‥

『変わり果てた翠琉の姿だった。』

今でも目を閉じれば脳裏に浮かぶ、その風景‥‥同時に、思い出す度に襲われる、この歪んだ行為を正当化しようとする、一族の“正義”への憤り、そして何の疑いも持たずにその“正義”を信じていた昔の自分への嫌悪感。

 

「真の咎人にはこの通り、然るべき罰を与えました。情深い宗主は、あなたの復帰を認めた上に、赦免なさるとの仰せだ。」

「!?翠琉!!!」

 緋岐は思わず、鉄格子を掴むと叫んでいた。血臭が鼻をつく。

 牢に繋がれていたのは、痩せ細った妹の姿。その瞳は虚ろで、本当にそこにただ在るだけの“人形”。

そしてその手に握られているガラスの破片は左手首に深く食い込んでいて‥‥

「何なんですかっ!これは!!」

「言っているでしょう?咎人だと。」

「早く!早く手当てをっ!!」

 焦燥感に駆られて叫ぶ緋岐を、不思議そうに眺めながら首を傾げる。

「どうせ死にはしませんよ、あなたも重々ご存知でしょう?これがどういう生き物なのか」

 その言い様は、既に翠琉を人として扱ってはおらず、緋岐は思わず絶句してしまった。

「それに、このバケモノにはちょうど良い罰ですよ。貴方様の父母の仇でもある‥‥違いますか?」

 「違う」と、そう叫びたかった。でも、喉まで出掛かったその叫びは声にはならなくて‥‥

 

『だって、俺もそう信じて生きてきた。翠琉を“バケモノ”だって、蔑んで、憎んで、恨んで‥‥』

―あの頃の自分‥‥馬鹿でどうしようもない、過去の幻影だったんだ、そいつの言っていることは。だから、反論出来なかった。代わりに涙が出て来た。

『俺の、たった一人の、大切な妹‥‥たった一人残った、“家族”なんだよ、翠琉は』

―馬鹿だよな、傷付いた姿と、過去の自分の幻影を見るまで気付けないなんて‥‥

『翠琉が、真耶を殺した罪を問われていると知った時、ピンと来た。』

―自分が、何故一族復帰を命ぜられたのかを。現宗主の次代を担う、“呪力”を持った男児は、俺と真耶の二人だけだった。

『だから真耶が死んだ事で、俺に白羽の矢が立ったわけだ。』

―血を守る為なら、手段を選ばない‥‥それが“神羅”だ。

『翠琉が真耶を殺したなんて、俺にはどうしても信じられなかった。』

―それほど、依存しあっていた。お互いを必要としていた。でも、真実を探す事はしなかった。神羅の地にも、あれ以来行ってはいない。調べる事もしなかった。

『もう、誰の言葉も届かないと‥‥俺はそのとき翠琉を捨てた‥‥』

―何度、差し伸べられた手を払いのけただろうか。そんな自分を‥‥こんなにも情けない兄を赦してくれるとは到底思えない。

『赦してくれと言う権利すら、俺にはないんだ。』

―それでも、俺の前に翠琉が現れた。ならば‥‥

『守ってやりたい‥‥力になりたい‥‥勝手な考えだけど、翠琉は望んでなんかないかもしれないけれど、でもそれが俺の贖罪だと思ってる。』

 紗貴は掛ける言葉が見つからなくて、ただ聞いているだけしかなかった。そんな紗貴の様子に気付いた緋岐は、苦笑を浮かべて問う。

『こんな、最低野郎‥‥嫌か?』

 間髪居れずに、紗貴は緋岐を抱き締めた。言葉はなかったが、それが紗貴の答えだった。

 

「どうにか、ならないものかしらね‥‥兄弟なのに‥‥緋岐君の思いを、翠琉ちゃんが受け止めてくれたら良いのだけれど‥‥」

 言いながらも、容赦なく醜を薙ぎ倒す。

と、そのとき‥‥

 

―キイィイィィン‥‥

 

突如、紗貴の脳裏を劈くような衝撃が走る。

「これは‥‥誰かが、破魔武具と同調した?まさか、由貴が?」

 その場から動かない紗貴に気が付いた緋岐が、紗貴に忍び寄る黒い影に気が付き走り寄る。

「紗貴っ!」

―間に合わない!?

 呼ぶ声にも全く反応を示さない紗貴に、その届きそうで届かないもどかしい距離に緋岐は思わず舌打ちする。

 と、そのとき‥‥

 

「退け‥‥我が同胞達よ‥‥」

 

 決して大きくはないその声に、醜達の動きが止まる。そして、その場から一気に姿を掻き消したのだった。

 紗貴、緋岐ともにその声に導かれるように振り返る。

―堕天使‥‥

 その言葉を具象化した姿が、そこにはあった。漆黒の翼を広げ、長衣を風にはためかせているその姿はまさに堕天使‥‥その者は紗貴と目が合った瞬間、空気の中へ溶けるように消えていった。

 

「今のは‥‥一体‥‥」

 その問いの答を持つものは、もうその場にはいなくなっていた。

「紗貴、とにかくここから離れて一旦戻ろう。」

 紗貴は緋岐のその言葉に頷くと足早にその場から離れた。