幻とか、幽霊とか‥‥ましてや運命なんて、信じる方じゃなかった。そう、あの
瞬間(とき)までは‥‥‥

 

 桜が月夜に美しく舞う。

 少年は、なぜ自分がそこに立っているのか、最初判らずに、周囲を見回した。

 そこは、通い慣れた通学路の途中にある神社‥‥‥

「あ、そっか‥‥‥俺、帰る途中だったんだっけ?」

 そう一人で納得して神社を後にしようとしたそのとき‥‥‥

「‥‥‥?」

 誰かに呼ばれた気がして、少年は立ち止まる。だが、辺りを見回しても誰もそこにはいない。

「‥‥‥気のせい‥‥かな‥‥」

 そう呟いた瞬間‥‥‥

―キイィィィィン―‥‥‥

 頭に無機質な音が響く。その思わぬ高音に、少年は思わず両手で耳を塞いだ。

「っ!!?」

『目覚めよ‥‥‥終焉の鍵を握る‥‥“終止を穿つ者”よ‥‥‥』

 今度こそ、はっきり聞こえたその声に弾かれるように、少年は後ろに振り返った。

 風が導くその先に広がっていた情景は、今までいたはずの見慣れたものではなく‥‥それどころか、明らかに現世のものではなかった。

 広い広い草原に、果てしなく澄んだ青い空‥‥両者が交わるその先に佇んでいるのは、後ろでゆるく束ねた髪を優しく揺らす風に抗らうこともせずに、真っ直ぐに少年を凝視している女性。名前を呼ぼうとした瞬間、一層強い風が辺りを闇へと塗り変えていた。そこには既に、女性姿はなかった。

―‥‥名前‥‥?

「俺は、今何と呼ぼうとしたんだ?」

 自身への問いかけに、返す声があるわけがない。はらはらと舞い落ちる桜を手に受けとめたとき、少年は頬を伝い落ちる雫に気付いた。

「涙‥‥?‥‥何で‥‥」

 何故悲しいのか‥‥否、何故己が泣いているのかそれさえも、少年には判らなかった。一つだけはっきりしていることは、この涙があの女性への言葉にならない‥‥することの出来ない想いが溢れ出ていることだけ‥‥

「忘れないで欲しいんだ。」

 その言葉にはっとして我に返り、声の方に目をやれば、いつの間にか漆黒の髪をしっかりと上で結わえた少女が手を差し伸べていた。

 その髪と同じ漆黒の瞳の、何と悲しいことか‥‥

 安心させようと、少年は口を開いた。

「お前、何なんだ?」

 しかし、口をついて出るのは、裏腹の言葉の羅列。そのことに戸惑いを覚える少年をよそに、少女は言葉を紡ぐ。

「私は―という。良かった‥‥お前が無事で‥‥」

 何か、少年は違和感を感じずにはいられなかった。

―デジャヴ?

 違う‥‥もっと違う何かがあると、少年は確信を持って言えた。

少年は少女に手を伸ばす、なぜ伸ばしているのか、少年自身、判っていなかった。

 だが、伸ばした手は少女の手を掴むことはなかった。少女の手に触れるか触れないか‥‥その瞬間に、桜吹雪が少年と少女の間に巻き起こったのだ。

 思わず少年が目を瞑る。その瞬間に、少女の姿は目の前から消えうせていた。

「‥‥‥何だったんだ‥‥‥?」

 その少年の問いに答える者があるはずもなく、桜が舞うその場に、少年はただ茫然と佇んでいた。

 

「‥‥また、会おう‥‥」

 

 女性の声か、少女の声か‥‥はたまた両者のものなのか、判断することは適わなかったが、その言葉を少年は確かに聴いた。

 

 

「どうわあああ!‥‥‥ハァハァ‥‥‥なっ‥‥なんだ‥‥‥夢か‥‥‥‥!?
なっ‥‥‥ウソマジで!‥‥はっ‥‥はははははははは8時5分だとおおおぉぉぉぉぉ!!?」

思わず叫んじまった!だって、あれだぜ!?遅刻記録更新!?

 俺は真っ白になって、固まってしまった‥‥‥そんな俺の部屋の戸が、ノックもなしに勢いよく開く。その先にいるのは‥‥‥

「ホオーホッホッホッホッホ!バカ由貴め!姉は先に行くわ!アッデュー」

 シュタッっと今にも音が聞こえてきそうな勢いで手を振って颯爽と去って行った‥‥いわずもがな、もちろん俺の部屋の戸は開けっ放しで。

俺は不覚にもその場のノリで手を振り替えし、あまつさえ「アッデュー‥‥」と言いながら見送った後で“しまった”なぁんて気付いた時にゃもう遅い。当たり前だが、そこには姉貴の姿はない。‥‥何なんだろう‥‥このとてつもない敗北感!何かすごく悔しい!ええい!本人の目の前じゃ怖くて言えないけど、今はいない!よし!

「クソ野郎!気付いてんなら起こせよな!それでも姉かあああ!」

―バッシイイイイイイ!

 あ‥‥お花畑‥‥‥

「何、訳の判らぬことをほざいておる。煩いだろうが!さっさと学校へ行かんか、このバカモンが!」

 何か‥‥頭が‥‥こう、ね?一瞬川まで見えたんだけどね?じいちゃん、痛いんだけど‥‥少年虐待?

「あらあ〜、ゆんちゃんまだおったん?あらあら、何すねてはるのぉ?」

 オカアサマ‥‥‥座り込んでいるのは、拗ねてるんじゃなくて、頭が痛いのです‥‥‥何でこんなにボッケエなんだろね、うちの母さんは‥‥もう泣きたい‥‥

「この家に俺の味方はいねえっ!」

 「くっ」と、悔し涙を流してそう俺が呟いたのを聞いてくれたのか聞いてなかったのか、母さんがポンと俺の肩に手を置いてこれまた変わらず朗らかぁに言う。
‥‥何か、母さんの周りに花が咲いて見える‥‥

「ゆんちゃん、遅刻はあかんよぉ?早よう行かなあ‥‥ね?もう拗ねんの‥‥」

 ですから、オカアサマ‥‥ボクは拗ねてるんじゃあなくて‥‥‥何て突っ込んでる場合じゃねえ!マジで遅刻だあ!
やばい!やば過ぎる!
どれくらいやばいかというと、富士山噴火ぐらいやばい!

ささっと制服着てっと‥‥‥

「行って来まぁ〜す!」

 朝飯もそこそこに駆け出す。

「おっと、いけね‥‥‥」

 忘れるとこだった‥‥仏壇に手を合わせてっと‥‥

「ばあちゃん、父さん‥‥行って来ます!」

 うし!何か後ろで、じいちゃんが走るなとか怒鳴ってる気がするけど、今は無視っ!学校行くのが最優先!

 俺は靴を履くのもそこそこに、玄関から飛び出した。