「変わったのは‥‥私だけ、か‥‥」

 随分、多くの血を浴びてしまった自分の両の手。知らずの内に、自分の手を強く握り締めていた。

 

 さて、どうしたもんかね‥‥声掛け辛いんだけど‥‥あ、そうだった!

「忘れるところだった、ほら!」

―ファサッ

 肩掛け、母さんに持たせてもらってたんだった。初夏とはいえ、まだ夜は肌寒いからなあ‥‥病み上がりっていうか、病人だし、身体冷やしちゃいかんでしょ?

「ありがとう‥‥」

 うわっ!反則だろっ‥‥いきなり笑顔かよ!

つっけんどんだったのに、今までハリセンボンもびっくりな、トゲトゲだったのに‥‥なんていうか、丸くなった?

「それより!手の怪我‥‥大丈夫なのか?かなり出血酷かったけど‥‥」

 柄にもなく、声が上ずってしまった。はっ‥‥恥ずかしいっ!

「ああ、大丈夫だ‥‥あんな些細な傷など、すぐに治る‥‥私は異端だからな‥‥」

「はい?」

 思わず聞き返した俺に溜息を付くと、左手に巻かれていた包帯を解き出す。

「おっ、おい!何やってんだよ!」

 慌てる俺をよそに、包帯を解いたそこには‥‥

「傷が‥‥ない‥‥?」

 ちょっと待ってくれよ?何で、小一時間前に付いたはずの傷が、もう治ってんだよ‥‥確かに、傷はあったはずだ。だって、俺はこの目で見たんだ、周の杖先が貫いた翠琉の左手を‥‥滴り落ちる赤い雫を‥‥この目で、はっきりと‥‥

それに、包帯だって赤く染まってるし、一体どうなってるんだ?

 そんな俺の胸中を察したのか、翠琉は苦笑‥‥否、自嘲とも取れる笑みを浮かべて言った。

「この体質を幾度呪ったことか‥‥死を望むことすら、私には赦されない。」

 何て応えたらいいのか‥‥情けないけど、俺には言葉が見付からない。どんな言葉も、ただの気休めにしかならない‥‥そんな気がしてならなかった。

「巻き込みたく‥‥なかったんだけどな‥‥すまなかった‥‥」

 その謝罪の言葉に、俺はやっと口を開けた。

「いや、謝んなよ、悪いのは翠琉じゃなくて、妖のやつらなんだろう?」

 “巻き込まれた”とかそういうことは、本当に思ってない。何て言うのかな、すごくしっくり来るっていうか‥‥むしろ、そこまで違和感なくこの事実を受け止めてる自分自身にびっくりしてるくらいだし‥‥

 知らない事だらけでも、聞けばちゃんと納得出来るっていうか‥‥

「でも、これ以上巻き込むつもりはない‥‥」

 また“巻き込む”と繰り返した翠琉に反論しようと、俺は翠琉を見た。だが‥‥視線で言葉を塞がれた。

「これは、私の犯した罪の証‥‥ならば、私がけりを付ける。」

 一歩も譲らない、そう‥‥漆黒の瞳が雄弁に語る。

「何で、そこまで自分責めるんだよ‥‥お前、悪くねえだろ?」

 しまった!思わず顔そらしてしまった!

「何で、お前が泣く‥‥?」

 見えてねえんだろ!?何で判るんだよ!

「知らねえよ!これは水だ!海水だ!!」

 それは、白銀から聞いた話‥‥周の言っていた話‥‥

翠琉は人を殺した。それは紛れもない真実。でも、決して望んだことじゃなかった。とても、大事な存在だった。

殺した相手の名前は神羅 真耶‥‥翠琉の従兄弟にあたる同い年のヤツ。今でも、翠琉の心を支配し続けている、その人。

一言でいってしまえば、“間が悪かったのだ”と白銀は言ってた。真耶と翠琉が二人っきりになったその隙に梵天は現れた‥‥まるでタイミングを見計らっていたかのように‥‥そして‥‥翠琉は‥‥

真耶の命が潰えたそのときから、希望を捨てた。光を自ら手放した。

「聞いたのか?」

 翠琉が静かに言う。俺は別に否定しないといけない理由、なかったから素直に頷いた。何か、悔しいっ!ううぅ〜‥‥涙がっ‥‥意思に反してボロッボロ零れて来やがるっ‥‥こんなんだから姉貴に遊ばれ、じいちゃんにどつかれ、先輩に馬鹿にされ、敦たちにからかわれるんだぞ!?俺っ!しっかりしろ!!

「存在自体が罪なんだ―‥‥私は‥‥」

 いきなりポツリと言わないで下さる!?涙止めるのに必死こいてたせいで、何言ったか聞き逃しちゃったんですけど!?

「私は、人殺しの罪を問われる以前に、存在自体が罪なんだ。‥‥この世で禁忌とされるもの“咎落ち人”それが私だ‥‥」

 俺の心の問いなど当然無視で、焦点の合わない瞳に哀しそうな笑みを浮かばせる。と、自らの右腕に巻かれていた布を解く。露になったその腕には‥‥俺の目に飛び込んできたのは‥‥

「何だよ、それ‥‥」

「この、腕に刻まれた烙印が禁忌の‥‥咎落ち人の証だ‥‥咎落ち人は、生まれてすぐに殺す、それが一族の掟‥‥」

 

『咎落ち人が生まれ出ずる刻、星廻りて昏き深淵の果てよりこの世の厄災目覚めん。咎落ち人、贄として捧げよ、さすれば厄災鎮まりて、汝ら一時の安息を得るだろう。』

 これが、古より守られてきた掟‥‥だから、身体のどこかに痣を持つ‥‥それだけの理由で、数多くの罪なき赤子の命が奪われてきた。

 

―だのに、どういうわけかむざむざと生き延びてきた結果が‥‥その代償が‥‥

「梵天の目覚めと‥‥それに伴う神羅一族次期宗主である真耶の死‥‥」

 禁忌、禁忌って‥‥むっずかしいこというよなあ‥‥

「翠琉は、どっからどう見てもただの人以外の何者でもないと思うんだけど‥‥」

 ん?俺、そんな目を丸くしてまで驚くような事言ったか?

 沈黙に耐えられなくて、俺は口早に言葉を続けた。

「それにほら!死なないでいてくれたから、こうやって逢えたわけだし‥‥そう考えたら、その特異体質にも感謝だしさ!あ、あと‥‥“咎落ち人”だからってだけで翠琉殺さなかった人にも感謝っていうか‥‥」

 どっ‥‥どうしよう‥‥何が言いたいのか自分でも訳わからなくなって来たぞ‥‥とにかく‥‥

「俺は!‥‥俺は、翠琉が生きててくれたことに感謝だし‥‥何度も言うけど!どこからどう見ても、ただの女の子にしか見えない!!」

 そうだっ!これが言いたかったんだよ!

 桜の舞う夜、ふらりと立ち寄った神社の石畳に佇む姿。月明かりを浴び、桜の舞うそこにただいるだけ‥‥それだけなのに、見慣れた神社が異次元世界になってしまったような錯覚に陥った‥‥

 あの夜以来見る、不思議としか形容の仕様がない夢‥‥いや、あれはただの夢なのか?それすら、俺にはわからない‥‥判るすべを俺は持たない。

 否、持たなかったと言うべきかな?段々と‥‥そう、本当に少しずつではあるけど、知りたかった真実に近付いてる‥‥そんな気がする。